我が家でホームパーティ

我が家でホームパーティを開催。青学校友会BBQでいつもヘルプしてくれる、MOさんとSHさん夫妻、そして共通の友達のKOさんとAKさん夫妻をご招待。KOさんのとこのHRKちゃんはうちの次男より3ヶ月妹ちゃん。で、SHさんは11月末に出産予定なので、「子育てについて大いに語る会」みたいなパーティ。

うちの奥様が今回もまた沢山頑張ってくれて、パスタにパンケーキにおつまみ、と、どれもとってもおいしかった!SHさんはマーボーのキッシュという一風変わった、でもとってもおいしい一品を持ってきてくれた。AKさんは自ら海に潜ってとってきたアワビを大根おろしとか使って柔らかく調理してくれたものを持参。これも絶品でした。

MOさんは校友会BBQでいつも長男と遊んでくれるので、おもてなしを・・・と思っていたら、今回もまた色々と遊んでくれた。次男も最初は人見知りをしていたが、最後は普通に抱っこしてもらっていた。「MOさんはプラレール、きっと好きだろうな~」と思っていたら、予想通り!子供たち以上に僕とMOさんが真剣にプラレールで線路作り。かなり楽しめた。息子たち、すまん。

SHさんは出産、子育てにとっても興味深く熱心に調べていて、うちの奥様もAKさんも「自分達が知らないことを沢山知ってる!」とびっくりしていた(笑)。

「うちの長男、次男出産直後の病院のビデオを見せる」といいつつ、お酒と話に盛り上がってすっかり忘れてしまった。。。。ので、また近いうちにご招待する予定です。

スカイプ

弟の家族とテレビ電話をした。スカイプというソフトウェア+サービスでは、無料でインターネットを使ってテレビ電話ができる。1年半ほど前に一度やっていて今回は2回目。次男にとっては初めてのスカイプ。

前回はパソコンに接続するウェブカメラを使ったのだが、引越しでウェブカメラがなくなり、「どうしよう」と思っていた。が!iPadにカメラがあることを思い出し、スカイプ開催決定!

長男は写真で、弟、義妹、姪っ子(小4)、甥っ子(小2)の名前を写真で覚えたので、ちゃんと話せるかな?と思ったが、やっぱり恥ずかしがって声が小さかった(笑)。姪っ子は少し体調を崩していたようで、直前まで寝ていたらしいが、なんとか起きてくれて顔を見せてくれた。ちょっと申し訳なかったが、参加してくれてよかった!また、甥っ子はとっても恥ずかしがって、椅子の後ろの方に隠れていた。昔はもっと元気だったと思うけど・・・(笑)。大人になったなぁ~。

うちの子供たちは最初は楽しかったようだが、だんだんとおもちゃとかで遊びだし、最後は僕がiPadを持って走りながら彼らを撮る、みたいな感じなってしまった。

普通に電話をすると声だけだから、何か話そうとするし、そこから盛り上がったりするが、テレビ電話だと「お~写ってる~」みたいな感動が大きくて、じーっと見ちゃう、っていう感じになり何か不思議。多分、普段、テレビを見ているときも、自分から話をすることがないからだろうなぁ~。

また機会があればやりたいと思う。

98歳ガール、パリに出張撮影

日経ビジネスオンラインで見つけた記事の抜粋。備忘録。

98歳でも現役でいられるか?
良い意味で「楽天的思考」と「努力」しかないな、と・・・読んでて思った。

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【隠居べーション ~100歳まで働く時代がやってくる!?】
98歳ガール、パリに出張撮影
人生三転の女性報道写真家、笹本恒子氏

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120911/236652/?mlp

「アラ100」の98歳にして、第一線で活躍するカメラマン、笹本恒子。女性が仕
事に就くことが難しかった時代から、報道の世界に身を投じ、高い評価を得て
きた。その道のりは、「順風満帆」とは言い難い波乱の半生だった。



2012年9月1日、フォトジャーナリストの笹本恒子さんは98歳の誕生日を迎えた。
笹本さんは、普通なら引退を考えそうな71歳という年齢から写真家としての人生を再スタートさせ、何度目かの「大輪」を咲かせた

笹本さんは現在、規則正しい生活を守っている。毎朝5時に自然に目覚める。テレビをつけて英会話の講座を見る。その後「みんなの体操」で硬くなった体をほぐして、しゃきっと体を目覚めさせる。

笹本さんは、東京の呉服商「豊田屋」の番頭の次女として生まれた。
生家では1920年代後半、自宅の離れを報知新聞記者である小坂新夫さん夫婦に貸していた時期があった。
この小坂氏が後年、高等女学校を中退して絵の勉強に励む笹本さんに、新聞の社会面でカットを描く仕事を紹介してくれたのだった。

さらに1939年、小坂さんが林謙一さんというジャーナリストを笹本さんに紹介した。
林さんはさらにこう言った。「日本にはこうしたフリーの報道写真家が少ない。女性は1人もいない。女性の報道写真家になりませんか?」。

先鞭をつけたのが1936年、写真でニュースを伝える雑誌として登場した米国の「ライフ」誌だ。創刊号の表紙は、マーガレット・バーク=ホワイトさんという女性写真家が撮った写真だった。笹本さんは、兄が時々買っていたライフ誌で見た彼女の作品を思い浮かべながら、幾度か逡巡しながらも「女性でもきっとできる」と、報道の世界に身を投じる決意をした。27歳の時のことである。

終戦後には結婚し、地方紙や婦人紙での記者経験を経て、1947年にはやはり写真家だったと夫と2人でフリー写真家としての活動を始めた。

あまりの忙しさに、笹本は後に、自ら夫婦関係に終止符を打つことになった。「とても立派な人でした。でも、仕事も家のことも、忙しくて忙しくて、どこかに逃げ出したくなっちゃったの」と、笹本さんは言う。

「60年安保闘争」が終わった頃、長年写真を提供してきた雑誌が次々と廃刊。。。。テレビが一般家庭に普及しつつあった。また写真家の数が増え、競争は激しくなる一方だった。

写真だけでは食べていけない。49歳の時に開いたのが注文服のサロン「ササモト・デザイン・ルーム」だ。女学生時代に学んだ洋裁の腕を生かした。景気も上向き、2人の従業員を雇って3年ほど経営は順調だったが、既製服が大量に市場に投入されると、利益が薄くなってきた。

52歳からデザイン学校に通い、欧米から入り込んだ「フラワーデザイン」の勉強にゼロから取り組んだ。「人の3倍は勉強したのよ」(笹本さん)。やがて教えてほしいという友人が現れ、1967年、53歳の時に『フラワーデザイン教室』という本を出版するまでになった。

フラワーデザインが下火になると、今度はアクセサリーなどを作って稼ぐなど、次々と稼ぐ技術を身につけていった。気づくと1970年以降、写真の世界からは完全に遠のいていた。

45歳ごろからの約20年間は、再婚した夫をめぐる人間関係や家庭の事情などで精神的につらい時期だったという。1980年には恩人である林謙一氏が死去。笹本さんが写真家としての復活を遂げるきっかけは、夫が末期がんで亡くなった後の71歳の時、1985年のことだった。

さて、98歳の今。笹本さんの頭の中は、出発準備を進めているパリ郊外の芸術家向け老人ホームを撮影する海外出張をはじめ、今後の撮影計画でいっぱいだ。

臨時男塾

前回8/27に開催された男だけのサクッと飲み会。知らないうちに「男塾」という会の名前になってました。Aくん、なんで?(笑)。

さてその男塾、今日木曜に臨時開催。Kさんが「前に話したビールのおいしいお店に行きましょう」というお誘いで。このお店がAくんちから近いので合流。

とってもアメリカンな・・・イギリスっぽい?バーはKさんが言うようにおつまみなし。カウンターで飲み物をオーダーしてその場でお金払って自分でテーブルまで持っていくスタイル。カリフォルニア各地の地ビールやワインを扱っていて、なかなかお洒落。Aくんはワインを頼んでいたが、「よかった」とのこと。

小1時間ほど・・・と思って10時に待ち合わせて飲み始めたら、子育てのこと、仕事のことなどで盛り上がり、気が付いたら11時半!「やべぇ~」と即時解散。家に帰ったら12時だった。そのまますぐに風呂に入って就寝。

次回は9月25日に定期開催です。

サンカルロスでプレイデート

午前中、家族でちょっと外出をしていたら、Aくんの奥様のNさんから電話。
「今日はAさんが休日出勤なので、一人で子供をみないといけない。せっかくだから一緒にプレイデートでも?」
ということで、午後からサンカルロスの公園でプレイデート。

Aくん、NさんのところのLくん1歳8ヶ月はしばらく見ない間に随分と大きくなっていて、びっくり。子供の成長って早いな~。

うちの子供たち・・・次男は僕が木の陰に隠れていると、笑いながら探して大喜び。長男は、大きい子用の滑り台に行きたい、というので連れて行くと、「パパは来ちゃダメ」と一人で滑って行くも、僕が気になり後ろ向きに下りていったら、ひっくり返りそうになってメッチャクチャびっくり!あ~、元気がありすぎる・・・。

そのまま夜は2家族でサンマテオ・ダウンタウンの「喜作」へ。子連れには本当に便利な座敷へ。やはり、子供3人ともあちらこちらへ歩き回り。Lくんは何度か掘りごたつに落ちていた。多分3ヶ月ぶり?ぐらいに会って以来なので、かなり色々な話題で盛り上がり、気が付いたら8時半。そんなに飲んで食べたわけでもないけど、ちょっと割高なのは座敷だからか???まぁいいや。

家に帰ってからは子供たちは風呂ナシでそのまま就寝。
お疲れ様でした!

レイバーデー

という祝日。勤労感謝の日、とでもいうのだろうか?
今回は特別に何も予定を入れなかった。もうゆっくりと休みたかったので・・・。

でも・・・、そんなことを許してくれるはずもない、うちの子供たち。
カーペットやソファに横になるとすぐに上に上ってきて、
「パパ、来てぇ~」
とせがみ、おもちゃで遊んだり、家中を走り回ったり・・・。

午前中はショッピングモールと日系スーパーへ。
帰ってきて、次男がお昼寝中にランチ。

起きてからは、公園に行って怪獣たちを遊ばせる。
が、まず次男が大きいモノをして、オムツ交換。終わった直後に長男が大きいモノをしてオムツ交換。なんでうちの怪獣たちは公園でモノをするんだ?公園のトイレってオムツ交換が大変なんだぞ!

その後は、ターゲットとセーフウェイに行き、買い物終了。

奥様と二人で「連休だけど休んだ気がしないね。」と意見が一致。うちの怪獣たちが落ち着いて、ゆっくりと連休を過ごすことができるのはいつの日のことやら・・・。

航空博物館

今日は午後からサンカルロスにある航空博物館へ。この博物館、毎日使う高速道路から見れて、「いつか行きたいな~」と思っていたが、今週末は3連休なので、じゃぁちょっと行ってみるか、と。

この博物館はサンカルロス空港というセスナのみの空港に隣接しているので、博物館からセスナ機の離発着がよく見える。またボーング747ジャンボジェットの一部分を外に展示していて、中に入ることができる。コックピットには引退したパイロットのおじいちゃんが丁寧に解説をしてくれて、チョイ興奮。本当は色々と聞きたかったがうちの怪獣たちが、ボタンをいじったり、暴れるので即刻退散。

博物館の内部では、飛行機が開発されたばかりのころの・・・グライダーの模型とか、ヘリコプター、ボーイングが一時期開発していた音速飛行機の模型などがあり、こちらも非常におもしろかったが、やっぱり子供たちは何かに乗ってみたりしたいらしい。ボーイング737-200のコックピットにも乗れたし、ヘリコプターの操縦席にも乗れたし、まぁそれなりに楽しんでくれたかな、と。

でもきっと、もう少し大きくなったらもっと楽しんだと思う。次回は数年後、かな?(笑)。

プレイデート・・・・ダブルで!

今日はプレイデートがダブルで。午前中は、サンノゼにあるプレイデートの会に参加。子供は総勢20名ぐらい。普段は教室で遊んだ後にみんなで外に行くが、参加者があまりにも多いので、教室と外の2箇所で開催。うちの子供たちは外が大好きなので、ずーっと外で遊んでいた。

外にはビーチボールがあったり、砂場があったり、大きなたらいに水が入れられていたり・・・まぁどれにも食いついていた。大きなたらいの水では次男が服をビチャビチャにしてしまい・・・大変だったが、まぁ楽しかったんだろう。

お昼はせっかくなので、久しぶりに長崎ちゃんぽん・リンガーハットへ。ちゃんぽん2つとお子様セットを頼み、さくっと食べてさくっと帰宅。

夕方からは4月に会ったご近所のお友達と5ヶ月ぶりぐらいにプレイデート+ポットラック。お二方とも日本人で長男の年齢に近い。前回は初めて会ってなかなか絡まなかった子供たちも今回は、お互いに顔を見合わせて笑ったり、おもちゃの貸し借りをしたり、仲良く遊んでいて、親たちも「お~!」とびっくり。

子供たちもずっと興奮して遊びまくるし、親もビールにワインに良い(酔い?)気分だったので、結局10時半にお開き。長男は風呂も入れずにそのままお休み。

こんなに子供たちが楽しめるのなら、また近いうちに、毎月開催してもいいかな、と思ったりした。