自虐的なところには絶対成果がついてくる

普段はシャワーを浴びているが、時々、疲れているときなどにはバスタブにお湯をはって湯船に浸かる。大抵、どーでもいい漫画を読んだりしてボーっとするのだが、この前は『小田和正インタビュー たしかなこと』という7~8年前に出た本を久しぶりに読んだ。

その本の中で、

自分で高い基準をあらかじめ設定、それを実現するために己を厳しく律してきたと述懐。その分、他人にも厳しく求めたかも知れない、とこれまでの仕事を振り返り、次のように語っています。
《だって、“つらいなら、終わったあとは絶対楽しいよな”っていうさ。“自虐的なところには絶対成果がついてくる”っていう……、これが座右の銘だったりしてな(笑)》

あ~、なるほどなぁ~、と。ここ最近、僕がちょっと忘れていたことだったかもしれない。

16年前に渡米して留学したとき、「アメリカの大学を卒業する」っていうのは、自分にとってかなり高い目標だったと思う。で、当時は起きている間はほとんど勉強していた、と思う。

卒業して、半導体のエンジニアになってからも、最初は何もわからなかった。専門用語は紙に書き出して、自分の机の周りに張り巡らして覚えた。質問して教えてもらったことは忘れないように、ノートに書き出して、忘れたときに何度も読み返した。

ここ数年、経験もかなり重ねたし、なんだか同じことの繰り返しになってきているような状況になってきているけど、この一説を読み直して、もう一度、高い目標を立てないといけないな、と思った。周りに惑わされずに、自分自身にとっての高い目標・・・たとえそれが他の人にとっては低いとしても。

前回の「努力してはいけない」に少し反対の意見なのかもしれないけど、楽をして出る結果というのは、自分の能力が100あったとして、多分80ぐらいの能力で出た結果じゃないかな、と思う。その結果が周りの人から「すげ~!」と言われても、その人自身にとって良い経験になったり、次につながるものにはなっていないと思う。つねに自分の能力以上の目標を立てて、それを達成することが、自らの経験とか力になるんだと思う。そこに「自虐的」な努力が必要なのかな~、と思ったり。

僕もちょっと自虐的に努力できるような、次の目標を探してみたいと思う。