努力する人間になってはいけない?!

友達がFacebookにリンクしていたブログの記事にびっくり仰天したので、それに対して自分なりの考えを書いてみたいと思う。

http://www.ashida.info/blog/2005/03/hamaenco_5_25.html

この記事を書いた方、芦田宏直さんは大学の講師などから主に教育分野で活躍している人で、この記事を書いたときは「東京工科専門学校校長」という肩書だった。そのときの卒業式の祝辞の内容がそのまま記事になっている。

まぁ題名が「努力する人間になってはいけない」となっているが、実際は「がんばり屋で目標を達成できない人」にはなるな、と。

そういう人はあまり他人の言うことを聞かずに地道に努力するので、なかなか自分が信じる自分の仕事の仕方を変えない。仕事の仕方を変えて目標を達成しようとはせずに、時間をさらにかけて達成しようとする。努力することが自分の唯一の武器(取り柄)だと思っている。努力は時間です(努力=時間)から、努力すればするほど、疲弊する。

結果を出す人たちは、努力もするけど仕事の仕方も効率を考えて色々と変えていく。学識のある人、実践的な人とは、〈努力をする人〉ではなく、〈変える人〉のこと。努力している、と言ってできないことの言い訳にするな、できなければやり方を変えろ、と。

そんなことが書かれていました。

・・・・僕に言わせると、「やり方を変える」ことも含めて「努力」というのかな、と思う。「努力してます、でも結果が出てません。」は、努力していない、ということじゃないかな、と。

努力って、プロセスとしては、1)最終的な目標があって、それに向かって何をするべきか、2)その最終的な目標を達成するために、中間地点ではどれぐらいの進捗になっているべきか、3)もし中間地点で目標の進捗状況に達していなければ、それまでの方法は自分に合っていないことになるから、次の方法を考えるべき・・・そういうことを繰り返して最終的に目標を達成することができるんだろうし、そのプロセスこそが努力なのかな、と。で、目標が達成できなければ、どこかで努力が足りなかった、ってことになる。

だから「努力」の定義が、僕の考えていることである場合、結果が出るまでは「努力してます」っていうのは言えないことになる。期待通りの結果が出てから、「努力しました」って言えるのかな、と思う。結果が出るまでは「頑張ってます」ぐらい。「勝てば官軍」みたいなものかもしれない。

僕も一つでも多く、「努力しました!」って言えるだけの結果を出せたらいいな、と思う。