8月29日(金)44歳になった

44歳になった。

29日はニジヤスーパーで肉の日なので、今月も沢山の肉を買出しに行き、夜は焼肉パーティ。最近の長男・次男は本当に肉好き。よく食べる食べる。余るだろうな~、と思っていたがほとんどすべてを食べつくされてしまった。食後は小さなケーキでお祝い。歌を歌ってもらって、息子二人に両頬にキスしてもらって・・・毎日大変だけど、幸せな誕生日を祝ってもらった。

毎年、「変わったことはない」みたいなことを書いているが、さすがに44歳、色々と変化がある。まず髪の毛。左側の剃り込みが結構進んだ。前髪の状況によってはプチ・バーコードになったりする。まぁ気にしない、気にしない。もう一つは老眼。小さい文字が見えない。近くに持ってきても焦点を合わすことができない。「なんか歳取ったな~」と思いつつ、もう既にいい大人なんだけど、またまた大人になった気分で悪い気はしない。

やっぱり歳を取るとそれなりに体力は落ちる。体力は筋力、筋肉の力。筋肉が落ちると疲れやすくなり、疲れやすくなるとストレスが溜まりやすく、ストレスが溜まると熟睡もできない。留学をしているときから、「勉強は体力」「仕事は体力」と思ってきたので、週1か2でジョギングを2~3マイルしていたが、今はもうなかなか時間が見つからない。代わりに早朝の3~5分間で腹筋と腕立てをやっている。それをやったからって、どれだけ効果があるかは知らないけど、とにかくやる気だけは持ち続けようかな、と。ちなみに、通勤の渋滞の中で肩のストレッチをしたり、時間を見つけてとにかくストレッチ。筋肉をやわらかくして、血行が良くなる様に気を使う。。。まぁ悪あがきっていうのはわかっているけど、やれることはたとえ無駄だったとしてもやる。

「年だから」ということで言い訳っぽくなるのは嫌だな、と思う。17年前、渡米したときに小田和正さんが丁度50歳だったけど、「若いな~」という感じもしつつも、50歳というのが何か遠い歳のような気がしていた。でも今、お笑いコンビ・ダウンタウンの松本、浜田両氏やシング・ライク・トーキングのボーカルの佐藤竹善さんが50歳とかであんなに若くいられるなら、自分も気持ちさえ頑張っていればああいう50歳を迎えられればいいな、と思う。

もし自分が80歳で死ぬならすでに人生の半分は過ぎている。90歳ならほぼ半分。残りの人生は限られている。どうせなら、やれることを一生懸命やっておきたいな、と思う。

楽はしたくない、と思う。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」みたいな格言がある。今はもう若いとは言えないけど、今頑張っている苦労はまたその次の50代、60代で活きてくると思っている。大変な思いをした分、後できっと「やったぜ!」っていう充実感があると信じてる。そして頑張っているからこそ、きっと見ていてくれる人たちがいて、その人たちの心をどこかで動かせるんじゃないかな、と思う。

最後に・・・子供たちの新しい学校が始まって、次男は週4日お弁当を持っていくことになった。奥様が毎日頑張って作ってくれている。そういえば、僕が中学になったときに母親が毎日お弁当を作ってくれたことを思い出した。野球部で朝7時に学校に行ってグランド整備をしないといけない。家を出るのは6時半。母親は5時半に起きて、僕らの朝ごはんとお弁当を作ってくれた。普通だったら、「もっと寝たいのに何でそんなに朝早く学校に行くんだ!」って感じだろうけど、母は毎日頑張ってくれていた。44年前のこの日、僕を産んでくれたときから、母は母としてそういう、子供のために頑張る生活がスタートしたんだと思う。44年前に僕を産んでくれてありがとうございました。

何か起こるかわからない。良いことも悪いことも。充実した1年を過ごしたいと思う。